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No.26

#FGO
奏章4 カドック
あのカドックにはもう会えない。
クリプターとなって"あの"アナスタシアと契約し、罪を犯したカドック・ゼムルプスはもういなくて、自分の罪を自分の罪として背負って死んでいってしまって、私はそれを少し誇らしく、美しく思うし、そしてとても寂しく、悲しく思う。
カルデアのマスターが(プレイヤーである私が)出会って友情を築いたカドックは、"あの"アナスタシアという運命に出会い、一度はカルデアと敵対し、そして最後は汎人類史を取り戻すために共に戦ったカドックだ。
地球白紙化が解決し、失われた未来、そしてAチームの命を取り戻すことができたとしても、コフィンの中で目覚める、白紙化地球での出来事を経験していないカドックはその意味では別人であると言えてしまう。それはカドックが最後の奇跡を除いてはもう"あの"アナスタシアと会えないのと似ている気もする。
でも、それでもカドックの、そしてAチームみんなの生存の可能性を喜んでいいだろうか。似て非なるみんなに会えることを喜んでいいだろうか。私が好きになったのはあの世界の彼らなのに、それを経ていないみんなに愛着を感じていいんだろうか。
根っこの部分は変わらないって信じてるよ。そして、異聞帯で出会った彼らのことをカルデアのマスターが覚えていて、その記憶を元にそれを経ていない彼らとまた友だちになったなら、「死によって閉ざされたはずの白紙化地球での彼らの生が、別の彼らの未来に影響を与えた」という意味で、確かに繋がっているんじゃないかと思うよ。
それに、カドックの死を始めすべての死に意味があったと思うし、白紙化地球でだけ成立したクリプターたちの生き方すべてを私は尊いと思うけれど、それを経ない彼らの生だってきっとまた尊いのだろう。あの出来事を経験した彼らと、それを経験せずに目覚める彼ら、違いはあってもどちらも特別で唯一無二のはずだ。人が生きるすべての生はなにがあってもなにもなくても尊いものだから。別の彼らが生きる、別の形で尊い生を取り戻せることを嬉しく思っていいでしょうか。

最後に。カドックと旅ができて楽しかった。カドックのギターが聴けて嬉しかった。麻雀できて嬉しかった。いろんなことを教えてくれてありがとう。背中を押してくれてありがとう。先輩になってくれてありがとう。握手してくれてありがとう。友って言ってくれてありがとう。畳む

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